和歌の神様、学問の怨霊
めんどくさくてカメラからデータを移していないので写真がとても少ないです。
滞在2日目は生活に必要なものを買いそろえたりしていて特にどこにもいきませんでした。
2月27日(月) 滞在3日目
円山公園に行こうとおもって出発。
円山公園は京都へ行く前から憧れていたスポット。円山公園の近くに住もうとおもって物件を探していたくらい。
とりあえず五条から円山公園まではだいたい3kmくらいなので歩いてしまいましょう。
本日のメニュー
(あれっ、円山公園行ってないじゃん)
今日行ったのはどれも小さな神社とお寺。
拝観料がとられるほど立派な庭があるとか、国宝があるとか、そういうのは一切ナシ。
それでも知識があれば最高に楽しい。
新玉津嶋神社
これが大変な神社だった。
後鳥羽天皇の勅命によって、藤原俊成(藤原定家のお父さん。和歌で超有名)が自分の邸宅地に歌道の神様「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したことに由来するらしい!
え!!!衣通姫!?しかも俊成!!!!!
さらに、その3年前(1183)、後白河法皇の院宣によって「千載和歌集」を編纂していたのもこの場所なんだとか。
ちょうどその年、木曽義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷へ引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で、俊成は、その中から次の一首を選び、千載和歌集に載せたという。
さざなみや志賀の都はあれにしを むかしながらの山さくらかな
江戸時代には、「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村季吟が、約7年間この神社の宮司として住み、万葉集の注釈書「万葉拾穂抄(しゅうほしょう)」の編纂に励んだ。これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。(看板から引用)
なんと……
この神社の本当に近くに住んでいるのですが、この物件に決めたこともなんらかの導きなのかなと思ってしまった。
俊成ですよ、千載和歌集ですよ。はあ〜〜〜
縮尺をだいぶ拡大してやっと地図に表示されるような小さな神社なので、違うところに住んでいたら出会えなかったかも。
逆に言えば、他のスポットにもこういう神社はあるかもしれなくて、いかにしてそいつらに出会っていくかが問題だ。
まんべんなく練り歩く必要があるぞーーー。(まあこれは京都に限らずですね)
平等寺(通称因幡薬師 真言宗)
平等院ではなく平等寺。このお寺の縁起がなんともユニークだった。
長徳3年(997)、因幡国司・橘行平が、任を終えて帰京の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津(がるつ)の海中から引き上げ、安置しておいた薬師如来像が、行平の後を追って京都に飛来したといわれ、長保5年(1003)、行平は自宅を改造してこれを祀ったと伝えられている。
(看板から引用)
神社とか寺とかの縁起説明の看板って文章長くて読みづらいよな。ちょっと日本語不自然だし。修飾・被修飾の関係が読めぬ。
わけがわからなかったので調べてみました。
こういうことらしい。
夢の中で因幡の賀留津の浜に霊木があると告げられ、そこに行ってみると薬師如来像が海から引き上げられたらしい。近くに仮の堂を作って安置し、自分は京都に帰ると、薬師如来像は自分で京都に飛来した。行平は自分の家にそれを祀って寺にしましたと。
参考:「因幡堂薬師縁起絵巻」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/gaiyou/gakusou/5/005_ronbun_b.pdf
※PDF注意
まとめると、
島根の海中で拾った薬師如来像が、行平を追いかけて京都まで飛んできた!それが寺になっている!
ということらしいです。
せっかく面白いのに看板の説明が下手だからブログにも書かずに素通りするところだった。
ちなみにこの行平が因幡の国司として赴いたことはかの有名な『御堂関白記』にも記されているので史実としての信憑性は高い。
寺を巡れば巡るほど、日本史をきちんと勉強していなかったことが悔やまれます
佛光寺(浄土宗)
平等寺を小、南禅寺を巨大とすると、中くらいの寺。素敵だったんだけど、敷地内にカフェとかアートショップとかできててすごい観光客に迎合している感じだった。敷地内に駐車場があって、車たくさん駐まってた。すこし残念。
親鸞のちょっとした家があった場所なんだそうで。
あまり惹かれなかったので次いきます。
門とか塀とかが立派でよかったです。
「私」のマンホール
開智幼稚園のすぐ近くにありました。なんで「私」?
近くに「私」のつく建物も神社も寺もみあたらないし
三密堂書店
東京神保町ではよくみかける佇まいですが、古本屋を久しぶりに見かけた気がしたので寄りました。
そしたらこれが大変なお店でして!やっすいのなんの!古文書も100円とかで普通に売ってらっしゃる!!!
あと京都散歩系の本がとっても充実していて、ここに40分くらいいました。そして結局7冊購入。
・百人一首の京都
・京都 道元禅師を歩く
・京都文学散歩
・中世京都の軌跡 道長と義満をつなぐ首都のかたち
・嵐山あたりの史跡と伝説と古典文学を訪ねて
・京都 庭の旅
・京の禅寺をたずねる
ねえやばくない!?
事前の調査不足ということもあるけど、僕のためみたいな本が世の中にはこんなにたくさん存在していたんだね!!!!!
東京にいるうちに見つけて読んでおきたかった。仕方がないので今から読みますけど。
帰って読む時間が欲しくなったので、今日は円山公園なしで。行くのやめた。
京都大神宮
神明鳥居が目に付いたので寄ったら、京都大神宮でした。
東京大神宮は飯田橋にありますね(伝道師の忘年会で行ったやつ)
明治維新の時に、江戸時代から盛んだったお伊勢参りが叶わない人のために、全国都道府県に伊勢神宮が遥拝できる設備を設けるように要請があったんだとか。だから全国には「大神宮」がめっちゃ多い。東京大神宮もそのひとつ。
ちなみに大神宮はかならず神明鳥居です。これは絶対そうです。
大神宮という名前によらず、ここの京都大神宮はぜんぜん大きくなかった。とても簡素だし、小さなお寺とお寺に挟まれてこじんまりと存在していた。明治維新のときになにかあったんだろうか。
錦神社
人気観光スポット錦通りの端っこ。観光名所と化した神社。
境内に小さくあった鳥居の額束が変だった。新しいからあんまり惹かれないけど….
錦通りでは一味や七味、鮭を買いました。
昨日も通ったんだけど、帰り道だししゃーない。月曜日だというのに結構人がいた。
七味、くっそ辛いの!!「舞妓はんひぃひぃ」っていうふざけた名前をしていたので買ってしまいました。おいしい。
「狂辛」って書いてあったけど、別の店で買った柚子胡椒の方が辛かった。
鮭は脂の乗っおおぶりの切り身が4つ入って800円だったので買ってしまいました。うまそう〜〜
菅大臣神社
これもなんとなく寄ったのだけれどすごかった。菅原道真が生まれた場所らしい。
菅原道真
平安時代の秀才。罪を着せられ太宰府に流され、怨霊となったとされる。北野天満宮の御祭神。
百人一首には菅家として「このたびはぬさもとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」がとられている。
名前から菅原道真関係の神社だろうなーーと思っていたけれど、まさか誕生の地だとは!!!!
誕生の地というのは言い伝えだけど、道真の家があったこと、菅家廊下とよばれていた学問所があったことは史実。
産湯に使われたという井戸も保存されている。猫がいた。かわいい。
そしてあの「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と読まれた飛梅の場所!!!
なんと。なんと。北野天満宮は初めて人を祀った神社なんだって。(それまでは神様しか祀られてなかった)
その「初めて祀られた人」であるところの菅原道真ですよ。学問の神様で有名な彼が。怨霊としても名高い彼が。ここでうまれたと。へえ〜〜〜〜〜〜〜
なんだか沸き立つものがありますね。
とても静かで、広いけれどとても簡素な神社で、おばあちゃんが竹箒で境内を掃除していました。
観光客なんて全然こないであろう神社。住宅街の中の神社。
道真はここでうまれた(かもしれない)のか〜〜〜〜〜
鳥居がやたらめったらありました。
あとミニ屋根がのっていたのが気になった。初めて見るタイプの瓦on鳥居。
五条天神宮
歩いてたら鳥居が目に入ったので寄りました。本日ラスト神社。
「義経弁慶出会いの場所」らしい。なんですと!!
別名天使社ともいわれ、六角堂とともに延暦遷都(平安京遷都のこと)以前からの神社で社地を一度も変えていない。御祭神少彦名の命は大園の命と國造をされた小さな神ながら薬やお酒を造られた能力抜群の神で不思議な力があり、陰陽師の神社として、また、安倍晴明もこの神の感応を得たという逸話がある。『今昔物語』『徒然草』などにも記載が認められるが、その名が著明になったのは、牛若丸と弁慶の最初の出会いが当社の近辺だったことを記した『義経記』の文とそれに取材した能楽「橘弁慶」からである。
(看板から引用)
近辺かーーーーーい。
まあいいんだけどさ。近辺でもすごいよ。
僕はそれよりも、平安京がここに移ってくるまえからあって場所を変えていないということのほうに驚いた。
火事で燃えてしまっているとはいえ、すごいじゃないか。えらい。五条天神宮えらい。
今日はこれでおしまい。
3600字も書いてしまった。こんなの毎日かけるわけないじゃん……。適度に手を抜く方法を会得したいものです。
本日のお気に入りは
新玉津嶋神社
菅大臣神社
です!俊成と道真に出会ってしまったので選ばざるをえない。
明日は自転車を買おうと思います。