狐草子

世界が面白くてよかった。大丈夫まだ書ける。

説明するということ

実績が大切だ、というのはその通りだ。何かをやろうと思っている、自分はこういった人間であると声高に主張しても説得力がない。聞いてもらえない。大切なのは「to be」ではなく、「to do」である。自分の性格はこれこれですという自己申告よりも、その人のしてきた行動のほうがその人を表す。

 

そう思って、いろいろと実行に移してきた。実際、「イベントを立ち上げました」と言うと面白がって話を聞いてくれる大人は多かった。それがなければきっとただの学生の私のことなど忘れてしまうような人たちが「ああ、伝道師になろうの松田さんね」と名前と活動内容を覚えてくれたし、私の話にしっかり耳を傾けてくれた。やりたいと思っているだけではだめ、行動に移して、実績にしてから初めて自分の“ポートフォリオ”ができて、それが名刺になる。

 

 

でも、最近はたと、実績があるだけでは足りないと気がついた。(無論、私の実績などまだ取るに足らないものだとわかった上で)

きっかけは尾原和啓さんの『どこでも誰とでも働ける』を読んだことだった。この本は、尾原さんが働く上で心がけていること、学んできたことをまとめた本だ。内容はとてもおもしろく、そんなところに気を配るのか、そんな行動をとるのかと学生の私にとっては驚きの連続だった。でも何より感銘を受けたのは、尾原さんが、自分のノウハウの蓄積をここまでわかりやすくまとめて本にしてしまったことだった。

 

 

例えば、私はイベントを立ち上げて毎回30-40人程度の集客に成功し、コンスタントに運営することができた。でも、コツはなんですか?どうすればイベントを成功させることができますか?と問われたら、参加してくれるひとのおかげだとか、Twitterの使い方をちょっと工夫しただとか、そういう取るに足らないことしか言えない。

 

つまり、わかっていないのだ。なぜイベントを企画して人を集め、参加者を楽しませることができたのか。コンセプトが良かったのかもしれない、私の態度が良かったのかもしれない、宣伝の仕方が良かったのかもしれない。具体的な手法は伝えることができるし、その時に気をつけていたことも言えるけれど、なぜそれに気をつけていたとか、どういう価値基準に基づいた判断だったのかとか、全然わからない。全部「かもしれない」で止まってしまって、何がどうなって、こうなったからイベントは成功したのですと言うことができない。幅広い年代、所属も職業もバラバラな人を集めて知ることのおもしろさを共有できる場をただの学生が作ったということは、大きな実績だ。きっと、本を出せるくらいの。だけど、私にはその力がない。言語化が必要だと気づくこともできなかった。

 

 

感覚的に成功させてしまったものには再現性がない。伝えることができなければ、その価値やおもしろさは、そこに居合わせた人たちだけのものになってしまう。私は今、自分の能力不足ゆえに、自分の作り上げたものの価値が限定的なものになることを許してしまっている。

 

 

実績があるだけでは足りない。説明できなければならない。それについて、きちんと伝えられなければならない。そのためには、もっと自分の考えを把握して言葉に落とし込まなければならないし、作り上げたものを客観的に眺めなければならない。

 

 

遅かったけれどせっかく気づいたので、私が今までやってきたあれこれについてきちんと説明できるように振り返ってみたいと思う。実績の先に説明があったように、説明の先にも何かがあるかもしれない。